なんだか大変なことになってきたのかも

水曜はSonuゼミのdiscussion groupの始動。ニーチェと19世紀心理学というお題でEcce Homoが課題に。15:00から専門の方を呼んでイントロ的レクチャー。その後18:00からはゲストによる精神病治療における投薬に関するpaper。その後は飲み会。発表者の方、目が覚めるような美人。最後はSonu、Matei, 小生が残り0:30まで。これは飲み過ぎ。しかし飲み会から徒歩でつねに帰宅可能ははなはだ便利。飲み会の前にボスのオフィスでボスと小生とDeeと今後の話。1月からの5回の小生のセミナーの題目はBloombury and Psychoanalysisに決定(11月からというボスの命令であったが、いくらなんでもと交渉して、先に延ばしてもらった。情けないことに母語でない英語でやるので準備がそれだけ必要になるので)。それに加えて3月の小生の帰国前までに同題のconferenceをやることが決定。あれまあ。前者は基本的にclosedでcreditを出すPhDの学生用のものだが、後者は宣伝をしてopenということに。コンファランスに関してはロンドンで人脈があるDeeに私たち以外の人選を基本的に任せる(ちょっと意見は言ったが)。もしかしたらJohn Forresterが参加などということもあり得るみたい。彼はいまPsychoanalysis in Cambridgeという大著を準備中とのこと。これは興味津々。このまえ聴いたコンファランスの際にDeeの紹介でちょっとお話したのだが、なんだか凄い展開になってきたよな。10月は、来週木曜のジュリエット・ミッチェルゼミでのプレゼン、11月の1日のWales方面作戦、それと平行した日本語関係の複数の仕事など立て続けに仕事が重なり、それが終われば年内はセミナーとコンファランスのためにAlix Strachey作戦のためのarchive調査をして、年が明けたらセミナーの準備とコンファランスの準備であっという間にロンドン方面作戦が終わってしまうことがすでに視野に入ってくる。たしかに充実している在外なのだが、ロンドンを楽しむなどという贅沢は結局なくなりそうだ。しかし仕事があるのはありがたい。ボスが精力的に仕事しているとこちらも忙しくなるということか。まあ、これがあのインド人の青年が言ったa good thingということにしよう。そういえば、長尺のフロイトの著作はPEPで読むには不便なので数冊Standard Editionのpaperbackを購入する必要があり、UCLの前のWaterstone'sで買い物したら、レジのお姉さんに「学生か?」と聞かれたのでa visiting professorであるとID cardを見せたら、2割引くらいになった!!これは2重の意味で「良いこと」なのではないか。『精神分析フェミニズム』の必要な箇所は再読完了。やはり基本的な名著。精神分析フロイトの)は生物学的(解剖学的)本質主義であるという迷信というか誤解を先駆的に解いた名著であるわけで、性差という解剖学的な差異がジェンダー化されたものが「精神分析的」な性差ということになるわけで(というか生物学的性差が「すでに/つねに」ジェンダー化されている家父長制度のなかでの主体(性差)の間主観的な形成がフロイトの眼目なわけで)。という意味においてフロイトは性差を否定しない(が、中身を詳細に見ればその構造はクイア的に複雑怪奇である)。明日からはプレゼン用の原稿作成のためにいくつか確認のために再読する必要があるものを読むことに。だが週末の日曜日は複数の日本語関連の仕事のために使わなければならない。やれやれ。やはり来年度の本当の研究休暇が欲しい。