やっぱり無意識ってあるのかなあ

日曜のロンドンは快晴。日本の初冬のような空気。散歩に行きたいが、でも終日蟄居で日本語をパソコンでパチパチ入力。軽い朝食の後の10:00から18:00まで一気に。その間にシーツなどの洗濯。どんなに忙しくても万年床だけはいやなので少なくとも1週間に1回はベッド関係は総取り替え。ただこの日は台所で食事を作ると居間で干してある寝具類にガーリックなりオリーブオイルなりごま油などの匂いが染み付くので(換気が悪くて、一度は洗濯し直した)今日も外食。2日続けての外食に罪悪感。行きつけのRussell Squareの中華にて、紹興酒と2皿程度。米類、麺類は頼まない。マーボ豆腐と豚肉のカレー風味みたいなやつ。80点いくかなあ。紹興酒のボトル1本は飲みきれないので「お持ち帰り」に。

よく考えると最近のエントリーに村山(敏勝)さんがとても出没する。ぜんぜん不人情にも意識していなかったが、そういえば彼の命日が10月11日。そういうことなのかなあ。親しい同業者たちの仕事ぶりを見ていると(とくにロンドンからだとよく見える)、いくらなんでも不必要な労働に加えて、本業の仕事を(とても神経と体力と知力を使って海外から見ても海外を凌駕するような水準と密度で)しているのがわかる。自分も帰国すればあの環境の中であんな風に仕事をするわけで。大学改革って、まったく違う方向にいまあることを考えないといけない。これは改革が不必要という意味ではなく、改革が違う方に向かって改悪になっているという意味で。

村山さんといえば、あの知的な柔軟さはなんだったのだろう。それをリベラルといえばリベラルなのでしょうが、そんな簡単な話にならないはずで。彼が存命中に彼と酒席で酩酊しながら話をした翌朝は、自身の脳がなんだか柔軟になったかのような感覚があったなあ。ともかく知的制度の固定化、膠着化には気をつけないと。