Wales方面作戦から帰還

ということで体力的には疲労困憊。精神的には深く充実感。すでにid:shintakさんのTwitterでも実況中継風につぶやいてもらったように、またN井さん@国立のFacebookのコメントで小生がつぶやいたように、日本の学会ではとうてい伝わらない言葉がとても深くWalesでは伝わることに感動する。それは地元の文化的な英雄であるRaymond Williamsを勉強するやつがわざわざはるばる日本から来たというようなお客さんとしての歓迎ということではない(実際にコメントは真剣勝負で、するどいツッコミにひるみながらも自説をディフェンドするというような展開もあった)。この反応はやはりRWを通過した「経験」の有無に関わることであって、たとえばK野&O貫さんの二人について言えば、あれだけ「コア」に日本でRWを「経験」すると、それがSwanseaでたちまちに伝わるということで、日本の知的文脈において非常にsingularなこととSwanseaにおいてもsingularな知的営為がある種のuniversalityを獲得する現場に遭遇した気もする。彼らがまさに橋頭堡を築いてくれていたので小生もその場所で刺激的な知的交通を楽しめたということになる。同道した「ストライキは文化である」(なんて素晴らしいエッセイであるか!)の著者のK藤さんのpaperのsingularity、今回が国際学会初舞台のウエストさん@国立の度胸と議論の内容の充実(彼のフクシマ論は新しい日本語を作り出している)にも感銘を受ける(ちなみにDanielに「専門がSaidなのに名字がWestとはこれいかに」とギャグを言ったらけっこうウケた)。

学会翌日、O貫さんとRWの資料が保管されている彼の墓所がある教会に赴いた。まさにBorder Countryの舞台であって、ちょうど日曜日の11時からのserviceのために地元の人が教会に集まっている時刻に到着し、彼らに教えてもらえなかったら見つからなかっただろうRWのお墓を見つけることができて、無事墓参りができる。また地元の人たちと共有したひと時に、RWの言うthe sense of communityを実感する。件の資料も無事調査できて安堵。

という次第で充実した作戦実行となる。小生の個人的なpaperに関しても出塁したようでこれも深く安堵(かなり緊張したのだが)。Danielから小生の議論がBorder Countryの読解に接続可能との示唆を受けてなるほどと感心し刺激を受ける。活字化をせねば。

それにしても、4月のWIP、5月のSeoul、7月のMontreal、10月のJuliet Mitchellゼミ、11月のWales、と5つのプレゼン続きでさすがに疲れた。しかし1月からはPhDの学生用のセミナーが5回、たぶん3月にはBloomsbury and Psychoanalysisのシンポジウムがあるので、まあたしかに充実した在外だが、いくらなんでも忙しすぎる気もする。