やはり戦線拡大の在外であった

来年にやるPhDの学生用のセミナー(5回)の準備をそろそろという時期に。Bloomsbury and Psychoanalysisが基本テーマで、より詳細にはpsychoanalytic femininity in the 1920sということになるか。ということで今週の前半はこのテーマの理論的な確認、後半はJoan Riviereの位置づけのための勉強。あとは卒論添削で終わる。このセミナーでは、Alix Strachey; Joan Riviere; Virgnia Woolf; Karl Abrahamの短めのテクストを指定することになるだろう。WoolfについてはTo the Lighthouseを執筆した後のことをanal sadismで表象した回想録的なテクストに。これによってこの特殊なpsychosexual matabolismがじつは思うほど特殊ではないことを印象づけたい。ということでAbrahamはこのテーマでじつは主役。精神分析の歴史では、このテーマに関してFreud-Jones debateとか言われるが、じつはKarl Abraham is crucialと喝破したJuliet Mitchellはやはり正しい。あとはDeeにJames Stracheyについて1回分をお願いをするということに。

標題にように小生の在外での戦線は、Alix Strachey; Joan Riviereのみならず、Raymond WilliamsがらみでFreudの再読も加わり、また前者2人の勉強にためにもFreudを再読することにもなり、やはり忙しかった。前の在外のように、基本1つのテーマで英語で論文をまとめるという展開でなくなり、上記3つのテーマで将来的に論文を書くmaterialを獲得したことが成果になるのか。で、やはり7月のMontreal、10月のJuliet Mitchellゼミ(今週勉強してあの時とは違う方向性が見つかる)、11月のWales、でのプレゼンが今回の作戦の基本であったわけだ(そういう次第でこの3大作戦が無事終了した11月の初旬からしばらく呆けたわけだ)。

ただし帰国後は英語でこれらのテーマで海外雑誌投稿用に論文を書く余裕などなさそうで怖い。同僚のH氏によると吉祥寺の今は「嵐の前の静けさ」であるそうだ。ガバナンスが本格化する年度に帰国することになり、なんの因果かと思う。気持ちはいまから鬱である。