闇の奥

帰ったら勉強する時間が激減するので、仕事に励む。月曜日は職場のアメリカ文学系の論集へ寄稿した論文が、参照すべき研究書を落としていたので、それをUCLのMain Libraryで借り、大急ぎで読む。幸い小生の議論を一般論から補強するものであったので、本文をいじらずにすんだ。註で参照することにする。編集のG田さんに送信。

本日火曜日はBL復帰でJoan Riviereの再勉強。来年にやるセミナーで話をしないといけないので、Juliet Mitchellゼミでのプレゼンをさらに修正する話にするために。先日の忘年会で、このゼミで最初にプレゼンをしたPhDの学生と少々話をする機会があり、a very clear surveyであったのでvery impressiveと褒めたら、なにを言っているのあなたのがそうだったわよ、と褒め返され、Deeからもあのままでいいんじゃない、と言われたが、まだまだ詰めが甘いところがある。Alix StracheyにしてもJoan RiviereにしてもFreudに分析を受けているが、そのFreudが分析できていない箇所が彼女らのテクストにおける過剰となっている。そしてそれはFreudもJones宛の1922年の書簡で認めている(untheorisableという言葉を使って)。その部分はoral/anal sadismとつながり、したがって彼女らのKleinへの傾倒にもつながるのだが、その一方でFreudのあの二元論Erosとdeath driveを根底から解体してしまう契機ともなっている(RiviereはFreudNew Introductory Lecturesの書評でそれを示唆している)。つまり情動affectでつねに躓くFreudということになり、これはWales方面作戦とも関連する、なんだかロンドン方面作戦、テーマが収斂してきたぞ。

フラットの給湯と暖房が機能不全という知らせ。たしかにその通り。構造的な欠陥と資金不足ゆえにこの冬は改善の見込みがないとのこと。なんという。最近の急激な円安といい、最初の件といい、たしかに運の巡り合わせというものはあるなあ。絶不調である。

追記:ゼミの学生、全員が卒論の形式審査に合格した由。よかった。私のゼミで事故者は過去ゼロである。どうだ偉いだろう。