Madrid方面作戦

案の定、Twitterを始めて以来そちらに比重が移行してしまいブログの方がお留守になりがちだったが、久しぶりのエントリー。標題の件で宣伝を。お近くの方はお立ち寄りください(笑)という次第で:http://philevents.org/event/show/8571

なんでWilliam Jamesの学会でFreudなのという話になると思いますが、主催者のRamonとロンドンでFreudについて話が盛り上がり、ボスのSonuさんがぜんぜんOKとおっしゃるので、ついノリで、ということで。でもRamonはじつに心のこもった招聘状を書いてくれて、実際期待しているみたい。

さてまた小休止

明日からまた仕事中心の生活ではなくなるので1月初旬まで更新はなし。1月の半ばのMadrid方面作戦は昨日のエントリーの通りに、Joan RiviereのFreudへの介入の思想的な意味をさらに前景化し、Borch=Jacobsen を経由して、RWに接続というラインとなるのだが、その文脈に置けるthe mother-daughter relatioshipという過剰については、ほのかにsuggestするしかないだろう。the ethics of failureという観点から。これについては、それこそ竹村和子の仕事を再参照するとか、様々な外挿が必要となってくるので帰国後の仕事をなるはず(って帰国したら勉強などできるのか?)。

今日はロンドンは冷たい雨。窓から見る通りには人影はまばら。日本で言えば正月という風景。夕食は外食となるが、インド料理などは開いているだろう。掃除をしなくてはいけないのだが、その気力がでない。明日の午前中ということで。

そんななか展望が

イライラ系のことが続く中、ロンドン方面作戦の展望が展ける(同語反復)ような気がして来た。結局は、この作戦の目標は2冊目のネタを手にすることになり、当初の目的の海外雑誌への投稿用英語論文の基本的な脱稿という展開ではなくなってきたが、まあこの流れも悪くはない。そのもっと細かいところは「つぶやき」のほうで言ってしまったが、すでに5つの章のネタは確保したことになる。前も言ったが、7月のMontreal、10月のLondon、11月のWalesのプレゼンが連動したことになる。1月の半ばのMadridでのプレゼンは、Freud and the Ethics of Failureという題目にし1冊目からの切り出しと思っていたが、ここ数週間での仕事から同じ題目で10月のJuliet Mitchellゼミでのプレゼンと11月のWales方面作戦の合体で行けるかもしれない(というか行くしかなし)。

こんな風に仕事のネタを用意周到に準備していないと、帰国後の仕事場の環境からいって、2冊目など夢のまた夢となる。ローテーションを無視して重い仕事を予想外に課される環境では、研究者としての自分を守るため細心の注意が必要だ。「いいひとキャラ」で帰国後に忙殺されてその後にろくな仕事がないでは、生きている意味がない。

クリスマス・イヴのエントリーとなったが、こちらでこの時期に独り身の小生はいろいろと同情されて、Fuhito, how will you spend Christmas? と気をつかわれることがたびたび。それでボスのSonuさんからは、How about drinking next next Friday? とお誘いがあり、それが2日前の金曜日。ボスは基本的には寡黙なタイプで、言葉数が少なく、少々ボソボソ系の喋り方。この短いお誘いの言葉で小生はどこかのパブで飲むのかなあ、漠然と思っていたのが間違いの元だった。前日にメールが来て、細かい道順のinstructionがある。それはHampstead Heath近くの話で、そのなかにパブの名前がある。そして完全に誤読してしまった。メールではそのパブの先にあるSonuさんのFlatへの道案内であったのだが、てっきりそのパブで飲むのだと勘違いをした小生はそこで4時間待って待ち人来らずで自宅に帰りメールを再読して間違いに気がつくことに。ひどい間違い。これではSonuさんのパートナーにも迷惑だ。速攻でお詫びメールをするが、New Years' eveにもお誘いがあるので、ほっとする。

日曜日の晩はDeeのお誘いで、St Bride's ChurchでのCarolsに出かける。運動不足気味なのでBrunswick CentreからFleet Streetの東の端まで徒歩で。彼女のかつてのofficeがすぐ近くにあったとのこと。フリーランスもやっていたそうで、アマゾンで調べると共著があった。小生、祖母がクリスチャンであったので幼少期に経験があるが、それこそ40年ぶり。very impressive。一種bracingな感じである。その後はCovent GardenのMexicanでCorona beerを飲みながら、精神分析系の雑談。いろいろとStrachey関連の情報をもらう。お世話になっているので、a token of my gratitudeとしてごちそうをする。帰りも徒歩。11時すぎていたので念のため大通りを選ぶ。

闇の奥

帰ったら勉強する時間が激減するので、仕事に励む。月曜日は職場のアメリカ文学系の論集へ寄稿した論文が、参照すべき研究書を落としていたので、それをUCLのMain Libraryで借り、大急ぎで読む。幸い小生の議論を一般論から補強するものであったので、本文をいじらずにすんだ。註で参照することにする。編集のG田さんに送信。

本日火曜日はBL復帰でJoan Riviereの再勉強。来年にやるセミナーで話をしないといけないので、Juliet Mitchellゼミでのプレゼンをさらに修正する話にするために。先日の忘年会で、このゼミで最初にプレゼンをしたPhDの学生と少々話をする機会があり、a very clear surveyであったのでvery impressiveと褒めたら、なにを言っているのあなたのがそうだったわよ、と褒め返され、Deeからもあのままでいいんじゃない、と言われたが、まだまだ詰めが甘いところがある。Alix StracheyにしてもJoan RiviereにしてもFreudに分析を受けているが、そのFreudが分析できていない箇所が彼女らのテクストにおける過剰となっている。そしてそれはFreudもJones宛の1922年の書簡で認めている(untheorisableという言葉を使って)。その部分はoral/anal sadismとつながり、したがって彼女らのKleinへの傾倒にもつながるのだが、その一方でFreudのあの二元論Erosとdeath driveを根底から解体してしまう契機ともなっている(RiviereはFreudNew Introductory Lecturesの書評でそれを示唆している)。つまり情動affectでつねに躓くFreudということになり、これはWales方面作戦とも関連する、なんだかロンドン方面作戦、テーマが収斂してきたぞ。

フラットの給湯と暖房が機能不全という知らせ。たしかにその通り。構造的な欠陥と資金不足ゆえにこの冬は改善の見込みがないとのこと。なんという。最近の急激な円安といい、最初の件といい、たしかに運の巡り合わせというものはあるなあ。絶不調である。

追記:ゼミの学生、全員が卒論の形式審査に合格した由。よかった。私のゼミで事故者は過去ゼロである。どうだ偉いだろう。

めちゃムカムカ系

先日吉祥寺から怒髪系のお達しが来てからいまだムカムカしたまま怒りがおさまらない中で、あの選挙の結果を見てさらにムカムカしたまま、日曜なので買い物に出かけようと10年間愛用のジャンバーを着ようとするとチャックがひっかかる。そこで力まかせに引っ張ったら見事に破損。なんという。これは10年前のロンドンの在外時に購入したものでなんだか験が悪い。しかし自分で直すわけにもいかないし、厳寒のロンドンでチャックを開けたままというわけにもいかないので、UNIQLO@Oxford StreetでblackのPremium Down Coatを購入。ちょっと長めで腰の下まであるやつ。非常に軽いし暖かい。79.90ポンドなり。まあ、以前からこの種のものは必要を感じていたのでギリギリ納得する。しかしついていないときはついていないもので、そのユニクロを出るときにけたたましくアラームが鳴る。なにかと思っていると背後で身長2メータ近くの筋骨たくましいアフリカ系の警備員がExcuse me!!と大声で叫んでいる。つまり小生、万引きを疑われたわけ。ただ彼も小生の態度と身なりで何かの間違いだと最初から分かっていたようで、小生もOf course I paid. Any problem?と落ち着きはらっていたので、彼はそのdown coatのポケットの中からなにやらタッグみたいものを見つける。これは店員のミスである。これまでの人生ではじめての経験。これまで警官から職務尋問をされたことすらない。きっと人相が良いのだろう。そういえば前にも書いたが小生ロンドンでやたら道を聞かれる。それをこちらの連中(非ネイティヴ系)に言うとみんな納得している(Yes, I would ask you)。

午後7時近くにフラットに帰るとDeeからメールが。クリスマスcarolに近いうちにという話をしていたが、彼女の勘違いでそれが本日の午後6時半からだったという。メールの着信が午後2時で、当然間に合わない。ただ別に機会があるみたい。彼女が言うにa very trad, Church of England experienceを近いうちに経験できそうである。これは楽しみ。

明日から気を取り直して仕事をしないといけない。職場の論集でどうやら必須の参考文献をこちらで見つけて、それを読んでの修正作業をしないといけなくなった。21日くらいまでとG田さんから指令が。

クリスマスが近くて慌ただしい

標題の通りの仕儀で、先週は火木のイヴェンと、その後の飲み会、ゼミの卒論の添削で終わってしまう。まずは火曜のBleulerはこの機会を逃すと読めないので良かった。とくにWilliam JamesをやっているEmmaが活発に発言をしてくれて勉強になった。その日の次のイヴェントのpublic letureは:

6pm, public lecture Matt ffytche

"The Embryo Individual: Early twentieth-century psychodynamic perspectives on the origins of selfhood"

Abstract
This talk takes off from problems investigated in The Foundation of the Unconscious: Schelling, Freud and the Birth of the Modern Psyche (Cambridge University Press, 2011). Here it was argued that the notion of an 'unconscious psyche', which took shape in the Romantic period in Germany, emerged out of pre-existing debates over how 'individuality', and individual autonomy, could be represented in a climate dominated by discourses of mechanical and rational connection. The paper will begin by rehearsing some of these representational problems in relation to the history of psychology and psychoanalysis, before examining a particular juncture (from 1911-1922) when the experience of the foetus and the >birth' of individuality was variously theorised in works by C. G. Jung, Sandor Ferenczi, Sigmund Freud and Emil Lorenz, culminating in Otto Rank's The Birth Trauma. By coming to this material via a longer-range enquiry into the history of psychology, and philosophical and moral conceptions of the individual, new perspectives will be opened up on the theorisation of infantile life in this period. In particular the paper concentrates on tensions between the possibility of a psychodynamic developmental psychology, and the function of the foetus as a metaphor within a quite different moral-philosophical enterprise.

ということでかなり広い歴史的文脈を踏まえてプレゼン。この方の著書はこちらで読まないといけないなあ。もともとQueen Mary Londonで文学研究から出発したということでワインを飲みながら話が合う。打てば響くような感じ。

木曜日は次の本の特定の箇所を題材にJuliet MitchellのPhDの院生がプレゼン:

Revolution in Mind: The Creation of Psychoanalysis

Revolution in Mind: The Creation of Psychoanalysis

この本まだ通読はしていないが、指定個所である'The Unhappy Marriage of Psychic and Eros'はいかにフロイト精神分析が同時代のBiophysics, Psychophysics, French Psychopathology, Sexologyなどから引用しまくりながら、そこから過激に逸脱していくさま、そのようにしてFreudian Psychoanalysisが誕生した次第を実証的かつ劇的に記述をして秀逸。文章も簡潔で喚起力がある名調子である。以前に小生が『英語青年』でショショナ・フェルマンを引用しながら当てずっぽうで書いたエッセイを実証的に論証してくれている。まあ、フーコーも同じようなことを書いているのだが。この日はゼミの最終日ということでJuliet Mitchellご自身がpaperを読む。精神分析はverticalな親子関係を問題にしてきたが、horizontalなsiblingの間の関係を等閑視してきたという彼女独自の視点からの戦争論。もちろんエディプス的な三角形におけるライバル関係が前提になるが。一種断章風のプレゼンだったのでうまくまとめられないが、さまざまな示唆が細部にある。精神分析は現在の暴力論としてまだ枯渇していないことだけは確かだ。ペンがないというミッチェル先生に小生のBLのボールペンをお貸ししたが、帰って来なかった...(笑)。

その後は一種の日本風に言うと忘年会。先生は欠席。なんと会場は小生のフラットの正面のMarchmont Streetの角にあるイタリアン。わいわいがやがやの中で隣に座ったSophieさんと久しぶりにお話。分析を受けている彼女からいろいろと具体的な話が聞けて面白かった。小生がtransferenceってどんな感じ?と聞いたら、It takes place straight awayとのこと。なるほど。聞くと彼女はHighgateにお住まいで、DeeはChalkfarmだそうだ。さすがにみなさんpsychoanalytic areaにお住まいである。2次会はSonuさんの先導でHotel Russellのバーで(社長@西荻の御用達でもある)。そこで0時半くらいまで。その席でボスのSonuさんからBrazilでpaperを3月に読まないかというお誘いがあったが、研究費関係を使い切ったのでそれは無理であるだろう。

金土はフラットにて卒論の添削。ほぼ全員終わったのではないか。在外で不義理をしたが彼らにある程度は義務を果たすことができたかもしれない。

そういえば所属する研究所の宣伝をちゃんとしないといけないのでリンクを張ります:

http://www.ucl.ac.uk/cehp/chpd

木曜の忘年会はPsychoanalysis Unitとの合同という感じでした。

卒論添削@ロンドン

ずっと自宅フラットにてゼミの学生の卒論を添削していると在外という気がしない。「在日」のひとも大変そうだ。ロンドンはとても寒いので買い物に出かけるのも億劫でかなり引きこもり鬱系に。1日1食。だって食材がないから。そんな週末であった。

来週はSonuゼミで火曜日にEugene Bleuler(Autistic Undisciplined Thinking in Medicine) を読むことに。これはかなり楽しみ。Sonuさんの言では 'this is one of the wierdest classics in the history of medicine'ということに。やはり心理学の専門家達とのreading groupは勉強(耳学問)になる。歴史的な文脈に精神分析を置いてみる視点というのはやはり貴重である。Toddの本を訳してだいぶ勉強になったし、あの「あとがき」で書いたこともWalesでそういえば実現できた。その火曜日のpublic lectureではThe Foundation of the Unconscious: Schelling, Freud and the Birth of the Modern Psyche (Cambridge University Press, 2011)の著者であるMatt Ffytche氏の講演。これも楽しみ。この方のお話は「精神分析全体主義」conferenceで一度聞いたことがある。Essexの方で、ここもイギリスにおける精神分析研究の中心となっている。ここでやった「革命と精神分析」系のconference行こうかと思っていて疲れてやめてしまった。4月以来の連戦でやはり疲労が蓄積しているのかもしれぬ。これが50歳の現実だろうか。Freud Museum主催の連続レクチャーもお金を払ったが行かなかった...。

Wellcomeのお取り潰しの後にその精神を引き継いだThe Centre for the History of Psychological Disciplines at UCL、もっと日本で宣伝しないといけない。PhDの学生の見聞を拡げようとdirectorのSonuさん、精力的に国際的な人的ネットワークを使って多様なひとを招待し講演を依頼している。小生をMadridに招待してくれたRamonもその一人である。帰国後に日本とのネットワークを築くべく布石を打ったのだがどうなりますか。PhDの学生の多くが近現代におけるpsychologising=pathologisingということをテーマにしている歴史家なのでこの知は日本でも特に貴重なはず。保守政権はこの言説をすでに巧妙に利用しつつある。